2009年10月25日
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マゾ的誘惑・巨大人型ロボットの必然を説明するか、ジャンプ~テレビマガジン掲載版マジンガーZ!!

Written By: トーノZERO連絡先

 というわけで、今頃になってジャンプ~テレビマガジン掲載版の最も最初のコミック、マジンガーZを、講談社文庫版に掲載された初期掲載に近い形で読み切ったわけですが……。

 これは面白いですよ。

 これは好きだ、と言いうるものです。

 同時に、アニメの衝撃Z編がこれをきちんと踏まえているのも分かりました。マジンガー軍団もZ抜きの出撃もさやかのヌードを撮影しようとする3博士も、基本はここです。

前回までのあらすじ §

 子供時代、「ジャンジャジャ〜ン ボスボロットだい」「おなり〜っ ボロッ殿だい」が大好きであった私はそれらの世界観とはあまりにもかけ離れたアニメのマジンガーシリーズが好きではなかったのだ!

 やはり、永井豪とダイナミック・プロ的な反骨精神が発露された作品でないと面白くない!!

巨大ロボットが常識ではない時代 §

 というわけで、このジャンプ~テレビマガジン版ですが。

 実に素晴らしい。簡単に素晴らしい点を思いつくままに列挙してみます。

  • 最初にZは街を壊しまくる。止めようとするとますます壊す。全く予定調和的な正義のヒーローに見えない
  • Zに最初に接した人々のリアクションが「巨大ロボット」という常識を持たない一般人のリアクション (マジンガーZが常識を作るので、この時代はまだ常識がない)
  • 自衛隊の存在感がきちんと描かれている (アシュラ男爵の海底要塞サルードは実質的に護衛艦の爆雷で撃沈されている)
  • エッチである (ブロッケンにさやかの服がはがされた時の甲児のエッチな本音等が素晴らしい)
  • アシュラ男爵のシャワーシーン (男側の手がしっかり乳房を握っている。衝撃Z編にもあったね!)
  • 身体を決定的に破損する表現が過剰

 最後の1つは説明を要します。ジャンプ~テレビマガジン版のロボット戦において、手足を失うぐらいは日常茶飯事で、胴体を切断されたりするような描写もあります。

 これらの描写は、実は敵にだけあるわけではありません。アフロダイAはもとより、マジンガーZにまであります。そもそもロケットパンチという技そのものが、「腕の消失」という身体のアンバランス化と表裏一体の技です。

 しかも、マジンガーZそのものを自爆させるという戦法で勝利するというエピソードまであります。

 このような描写の奥底には、自らの身体をバラバラにされ、溶かされ、消滅させられるマゾ的快楽への誘惑が潜んでいるようにも思われます。暴力を振るって破壊する誘惑ではなく、破壊されるマゾ的な誘惑です。

巨大人型ロボットの必然 §

 そのように考えたとき、実は「巨大人型ロボット」という必然がそこにあることが分かります。つまり、「もう1つの身体」の中に「真の身体」を入れて同一化するというプロセスを経て、初めて身体をバラバラにされる快楽を得ることが可能になるわけです。真の身体をバラバラにされたら、快楽を得るどころではありませんが、もう1つの身体であれば可能です。

 このとき、「もう1つの身体」は必然的に以下の条件を満たさねばなりません。

  • 人間型であること (人間の代理で壊されるのだから人型である必要がある)
  • 搭乗者の理想型あるいは搭乗者自身に似ていること
  • 巨大であること (身体がバラバラにされても真の身体まで引き裂かれないためには、巨大な身体が必要とされる)

 この条件から、以下の理由が明快に説明できます。

  • 「人が乗り込んで」操縦する「巨大」で「人型」のロボットである理由
  • 女性搭乗者の専用ロボが、ロボ自身も女性型である理由
  • ビューナスAが搭乗者のさやかのヌード写真まで撮影して、そっくりに作られねばならない理由

アニメを見ても分からなかった謎が解ける §

 巨大人型ロボットが戦うアニメは、玩具メーカーの都合という以外に巨大人型ロボットである必然性がほとんど見えてきません。少なくとも、アニメブーム初期の作り手も受け手も、おそらく多数派がそう思っていたはずです。

 しかし、こうしてマジンガーZの原点に回帰していくことで、スタートラインには確かな必然性があった(かもしれない)ことが見えてきました。

 問題は、その必然性がアニメのジャンルとしての「巨大人型ロボット」に継承されているとは言い難いことです。いや確かに初期の時代には「主人公が乗る巨大人型ロボット」が破壊されていく描写はそこそこあった気がします。グレートマジンガーは「毎回ボロボロにされる」という印象が残るし、ライディーンもコクピットまで貫かれる攻撃が珍しくなかった気がします。(なにせ古い記憶なので、定かではない。単なる印象)。

 ですが、いつの間にかそういう「身体が壊されていく感じ」は希薄化したような気がします。

 また、主人公機体を手段と捉え、それの破損や自爆を前提とした戦い方をこの時代のマジンガーZは常識として実行しているわけですが、そういうドライな捉え方も行われなくなったような感じもあります。

 (ガンダムSEEDの時に驚きましたが、機体を自爆させるとそれだけで「自爆テロ」と騒ぐ感想が多数。いかに、主人公機体を単なる手段として爆破する行為に馴染みがないかが分かります)

追記 §

 よく考えると、アシュラ男爵やブロッケン伯爵も、「自らの身体をバラバラにされ」た存在であり、作品そのものがそのような指向性を持っている可能性も考えられます。